第一章 第一回

「司令、ア・バオア・クーに援軍をッ!」

私が、サイド3防衛最高司令、エル・ウィン中将の部屋で、苛立ち下に進言したのは10分前のことだった。そのときは呼び出しのコールが鳴り、司令は私と論議することなく部屋を後にした。私は机や椅子、壁面モニターなど、必要最低限の物しかない司令の部屋に一人取り残された。唯一例外があるすれば、エル司令の趣味であるワインの専用クーラーがあるぐらいだ。これは赤の飲み頃である、温度15度〜18度、湿度75%に保つ、ワイン用の冷蔵庫と司令に聞かされたことがある。しかし、そのワインを口にさせてもらったことは一度たりともなかった。壁面モニターが映し出す、ジオン公国を形成するスペース・コロニー群の実像画像を私は見ていた。そんな中、不意にひとつのことを思い出した。かつて司令が今の私と同じようにモニターに映る実景画像を眺めていたとき、司令にこう尋ねたことがある。

 

「司令もギレン総帥のように、何かを考えたり、お上が、市民の生活が無事営まれているのを眺たりする心境なのでしょうか?」

それを聞くと司令はモニターを見たまま苦笑し、私にこう言った。

「確かに、ジオン国民が戦渦に巻き込まれることなく、無事に日々過ごしているのを見るのも悪くはない。しかし、ギレン総帥は違うだろう。君も、ここに来て見てみたまえ」

「了解しました。お隣を失礼します」

私はあまり乗り気ではなかった。宇宙ならコクピットで嫌と言うほど見ているからだ。司令は、そんな自分を見て、再び苦笑した。

「どうだ?」

上官の命令とあり、仕方なく横に並んだ私に、司令はそう尋ねたのだった。壁面モニターから見える宇宙は、私が普段見ているコクピットの宇宙とは違い、広大で、美しい『景色』としての宇宙だった。この『景色』を見て、どの部隊をこうするだの、ああするだの思いつくものではない。もし、思いつくものがあるとすれば、この奥行きのない宇宙はどこまで続くのかとか、太陽系の先に何があるのだろうかとか、やはり、宇宙人とかつて呼ばれた未確認の生命が存在するのではないかとか、戦争とは関係なく、広大なもので、『個人の夢』というものではなく、『人類の夢』、『生命の夢』とでも言うものであり、ロマンと言い表せられるものだ。これを夢想家と言い、否定するような者がいるならば、彼らこそ非現実的であり、夢想家と言え、連邦以上に叩くべき存在なのかもしれない。そんな感情の昂りを、素直に私は顔に出していて、子供の好奇心のような感覚であった。

 

「地球も綺麗だぞ」

司令のその言葉で私は現実に戻った。司令はモニターの映像をゆっくりと右へスライドさせていった。モニターにうっすらと反射して映る司令の顔が目に入った。司令も、子供が好奇心を抱くような顔をして、私が次にどんな表情を見せるか楽しみにしているようだ。私は司令の期待を裏切ろうと平常でいるのに心掛けたが、青い惑星が姿を見せると共に、やはり顔は緩んでいく。しかし、モニターは地球のすべて映しだすことはなかった。月が視界の邪魔をした。私の期待がしぼむと共に、司令の笑顔も消え、司令は自嘲気味に笑いながら言った。

 

「私も、いつも地球がすべて映らなくて残念に思うよ。そして、ふと幼稚なことを思う、総帥は好きな外の景色に地球が映らない腹癒せに戦争を始めたのでは?とな」

司令は自らの考えを幼稚といったが、私にはそうは思えなかった。

 

今から3年前の0076年に、私はMS訓練でアクシズの周辺に行くことがあった。アクシズとは、火星と木星の間に存在する小惑星帯に置かれた恒久宇宙基地であり、ヘリウム輸送船団の中継基地として利用されている。0072年に公国と月面都市企業体により極秘裏に開発されたため、連邦はその存在を知る由もない。訓練にこの空域が選ばれたのもそのためである。それに当時国軍は、宇宙攻撃軍と突撃機動軍に分割されてはおらず、教導機動大隊として存在するため、大規模な軍事演習を極秘裏に行うには尚更この空域が適所であった。

そして、そこでは戦闘に耐えうる強靭な精神を築くために通信を切断しての個人訓練があった。この空域以前にも公国の周辺で同様の訓練はあり、それを難なくこなした私には朝飯前の訓練であるはずだった。しかし、その時はとてつもない恐怖と孤独感を感じるに至った。本来あるべきものが足りない。そう、青い惑星『地球』がまったく見えないのだ。つまり、今までは地球が精神安定剤の役割を果たしていたため、平常心でいられたに過ぎなかった。地球で「月のない夜は後ろに気をつけろ」と言われるのは、後ろから不意に狙われることが危険なのではなく、アースノイドにとっては月が精神安定剤の役割をなすためそれがない時に発狂するかもしれないことを説いていたのかもしれない。すると満月の夜に、人が狼男になるという話は嘘だと思い心の中で心底笑ったのはパニック状態であった訓練を終えて帰還し、しばらく経って平常心を取り戻してからのことだった。

 

そんな経緯から司令の冗談も私には真実味を帯びて聞こえていたのだ。そんな過去を思い出している間にも、司令は続けていた。

 

「冗談は別として、この景色を見て感じたことを総帥も感じていると私は思う。日常的で平凡な考えは浮かぶまい。だからと言って独善的で非凡な考えも浮かぶまい。ただただ広大に浮かぶ宇宙や、そこに浮かぶ様々な星星に心奪われるだけであろう。かつてジオン・ダイクンが『第一の人類のルネッサンスを猿から人への変革であるとすると、第二のルネッサンスを封建から中世の文明を得た人類、そして、第三のルネッサンスとして宇宙を得たニュータイプ。』と言ったが、ギレン総帥はその先を見出したのかもしれない。

第四のルネッサンス、すなわち、銀河系から、いや、宇宙から脱出する更なる変革を…。ダイクンも真のルネッサンスを迎えるときこそ、『人は、広大な空間も、越えることの出来ないと信じられた時間をも越えることができる』とも言っていただろう。

奪われた心が期待を抱かせ、更なる期待が人を動かす動力となろう。その動力を得たときこそ、人は人の上を行くことになると私は信じている。それが私なりのニュータイプだ。

ハハッ、最後は説教染みて話がそれてしまったが、要は小さなことを考えてではなく、また、高々一個体の人間のことを考えるために、総帥は宇宙を見ているわけでないと言うことだ。ただ広大な宇宙の神秘を楽しみ、そこから浮かぶ広大な構想を楽しんでいると私は思っている。」

 

私は、彼の言うギレン総帥の考えこそ、司令本人の考えであると理解した。そして、それこそ私が宇宙を見て感じた延長上のことであり、その上を行く延長線こそ、ジオンの考えであり、ギレン総帥の考えである。それが線ではなく点なのが連邦であり、ジャブローのモグラどもと私は感じるのであった。

 

しかし、その、『点』である地球連邦もこの宇宙を真剣に見ることができれば、独立を唱え戦争を始めた我らのように、宇宙に進出した人類の行く末を真剣に考えるに至る。この人類誕生以来永遠と続けられている『戦い』は人類の終末を迎えることなく終えることだろう。決して人類の大量虐殺、ザビ家云々ではない。だがもしそれでも連邦が広大かつ無限の可能性を持つ宇宙というものに気づかぬならば、そのときは殲滅もやむを得ないのかもしれない。

そう、我々はいかなる武力を行使しようともこの広大な空間、それこそ『スペース』にモグラを引きずりださなくてはいけないのだ。

 

私はこの日以来、宇宙を見るのが好きになった。そして、司令という人間も。

 

 

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